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浅見千晃さん
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お母さんになりたい。小さい頃からの私の夢は、22歳でSLEと診断されてからも変わらなかった。「産まない方がいい」「産むなら一人にしておきなさい」そんなことを言う人もいたけれど、SLE患者としてひとくくりにされることに疑問を感じた。私は、私。自分の可能性を、自分の力を信じたい。25歳で併発した大腿骨頭壊死の手術後も、“1年後に運命の人とお出かけすること”を目標に、それを信じて、リハビリを頑張った。

浅見千晃さん
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退院後に夫と出会い、プロポーズされたのは、それからちょうど1年後のことだった。翌年には長男が生まれ、その翌年には長女が誕生した。お母さんになることを何度も絶望しかけてきた私が、今はおんぶに抱っこしている。なんて幸せなんだろう。でも、年子の子育てには休む暇もなく、日々自分の体に鞭打つような状態だった。しばらくすると、体のだるさ、疲れやすさを感じるようになり、咳も出始めた。病院へ行ったのは、泡を吹くほどに咳がひどくなってからだった。

浅見千晃さん
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告げられた病名は、間質性肺炎。危険な状態で、即入院が必要だった。入院期間は短くても半年と言われた。1歳と2歳の子を家に置いて、半年間も母親がいなくなるなんて考えられない。入院は嫌です、家から出たくないです、と泣き叫んだ。「母親が死んでしまったら元も子もないよ」入院への踏ん切りをつけさせてくれたのは、家族や友人の言葉だった。不安にさせたくないから、子どもに病気のことは知らせなかった。入院の日の朝も、何事もないように長男を保育園に送り、涙を隠すように、すぐに背中を向けて、病院へ向かった。

浅見千晃さん
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もう二度と、子どもの側を離れたくない。入院中から、健康について今までにないくらい真剣に考えた。食事、運動、感情のコントロール、ストレス・マネジメント、そして、笑顔の大切さ。自分なりの健康の答えを見つけて、実践した。3年後には、3人目の子を授かり、さらに翌年にはもう一人。上の子たちの頃のせわしなさが嘘のように、今はゆったりした気持ちで育児に向き合えている。そう、私の夢は叶ったのだ。4児の母という、思い描いていたより大きな形で。

浅見千晃さん
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浅見千晃 30代/プライベートサロン経営

15歳の頃からレイノー現象が現れるなど膠原病の兆候が認められる。22歳で転職してからは、倦怠感、関節痛が続き、検査の結果、SLEと診断。退院後に起業するも、25歳で両側性特発性大腿骨頭壊死が判明し、治療のため再入院。術後はリハビリに励む。27歳で結婚し、翌年に第一子、翌々年に第二子を授かる。30歳の時に間質性肺炎を発症。その後、第三子、第四子を出産。現在は育児をしながら、プライベートサロンを経営。

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最終更新日:2020年9月17日 MAT-JP-2002416-1.0

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